ブログを続けてみる

以前2年くらい続けられたブログが続けられなくなった。
「忙しいから」。そういう言い訳は違う気がしている。
恐らく、日々の自分を見つめることを拒否してきたんだと思う。

今日からもう一度、日々気になったことを書き留めていきたい。

内田樹さんが「マスメディアは『驚いたふり』をするのを止めた方がいい」と言っている。
http://blog.tatsuru.com/2007/01/30_1049.php
自分もそう思う。

具体例(from朝日新聞
「アパ、千葉のマンションも強度不足か 京都発覚の契機」
http://www.asahi.com/national/update/0126/TKY200701260364.html

池田信夫さんが「テレビに『期待』してはいけない」というエントリーを書いている。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/43a70d9ee119c0abefd9399845013e51
そのつながりで彼の過去のエントリー「河野談話は見直しが必要だ」を読んだ。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9e5aa6186ca7720af0d709d304c6fb9c

何でこの人は自分が取材したことが事実のすべてだと言い切れるのか不思議だ。
吉田清治の著書がうそっぱちだったことは慰安婦問題がなかったことの証拠にはならない。
私は彼がこのエントリーで日本史研究者の研究業績をどう考えるのかについて語っていないのが気になる。
そこにはアカデミズムを尊重する姿勢が全くないのだ。
アカデミズムを鵜呑みにしろというのではない。批判と評価を加えるべきだと思うのだ。

また、池田さんは高木浩光さんの「日常化するNHKの捏造棒グラフ」というエントリーを批判している。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9e5939d874df2095c1cf81d288112608
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20070128.html#p01

で、池田さんは「グラフをわかりやすく見せることを捏造と呼ぶのは捏造、いや誇張だ」と。
しかし、「グラフをわかりやすく見せる」のわかりやすいとはどういうことを指すのかが問題だ。
「わかりやすい」=「伝える側にとって都合の良い資料に見せる」ためであれば問題だろう。

七星来人さんのエントリー「カチンと来たこと」に激しく同意。
http://blog.livedoor.jp/sevenstarslight/archives/50905699.html
私は、教育改革のために民間人を教員に登用することは意味があると思う。
しかし同時に教員が「専門職」であるということを忘れてはいけない。
専門家の中に「優れた素人」を一定数いれることは良いが、「素人だらけ」にしてしまったらどうなるのか。

川瀬貴也さんが「教育に金を掛けずにどうする」というエントリーで書かれていることにも同意。
http://takayak.moe-nifty.com/episode2/2007/01/post_1442.html

山口浩さんのエントリー「教育再生会議から学んだこと」も興味深い。
http://www.h-yamaguchi.net/2007/01/post_dc50.html
が山口さんの検討しているモデルは、「実は『いろいろ威勢のいいことを次々とぶちあげるのはいいがどれも途中でしりつぼみになって結局やらないほうがましだったモデル』のもう1つの例にすぎなかった、というおそれもなしとしない」ところが致命的に問題かと。