ある劇作家からのコメントへの返答(その2)―そもそも権利制限規定とはなにか―


こんにちは。


さて、今日は劇作家のOさんからいただいたコメントに対するお返事、その2です*1
今日はちょっと長くなりそうです。


では、早速いただいたコメントを読んでみましょう。
2011年6月17日付のものです。

あなたのおっしゃることは、「高校演劇が既成本を上演する際に上演許可をとることがおかしい。無断上演で構わない。その法的根拠は、著作権法第三十八条に『入場料をとらず、キャストなどにギャラが支払われない限り、上演許可をえなくてもいい』というところがご発言の根拠になっていると思量いたします。著作権法は平成十年代にあいついで改変され今日に至っております。わたしは戯曲の使用にあたっては、かならず著作者の許可を得なければならないと考えております。一つは、芸術的な倫理観であります。ご存じだとは思うのですが、演劇の三要素は「観客、戯曲、役者」であります。演劇が演劇たり得るかくべからざる要素です。考えてください、高校演劇だからと言って会場費タダになりますか? 道具の材料費、衣装、メイク、運送費タダになりますか? なりませんよね。なのに、欠くべからざる戯曲の使用だけが、無断、無料でいいのでしょう? わたしには理解できません。しかし、あなたは「法的にそう書いてある」と、おっしゃるでしょう。正直、著作権法は不備であります。第二十条に「著作者の同一権保持」について書かれています。「著作者に無断で、著作物に改変をくわえてはならない」ということが書かれています……もうお分かりでしょう。戯曲は、原作通りに演ることは不可能であります。台詞の一言、句読点にいたるまで変えてはいけないのです。矛盾しているとは思いませんか。一方で無断上演を認めておきながら、もう一方では「変えてはいけない」と書かれているのです。これは法律そのものの矛盾です。妥協の産物であったのかもしれません。わたしは無断上演を発見した場合、上演を記録したビデオまたはDVDの提出を求めます。改変されていないかどうかは台本では分かりません。また前述したように、原作と一言一句変えずに上演することは不可能だからです。もし、記録が無かったり、改変が行われている場合は、その時点で改変の許可願いを出していただきます。どうですか法的にはどこも間違っておりません。昔通り、上演許可を求めてこられた場合「上演料は払わない」と、おっしゃる場合、「では、作品の改編はいっさい認めません」と、お答えすることにしています。ただ、過去百五十あまりの上演でそういうケースはありませんでした。法律がおかしい、そういう視点で著作権法を読み直してください。
*2


私がこれを読んでまず思ったことは・・・
「この人に分かってもらうためには、著作権法を1から説明しないとだめだ」。
で、結構気持ちが萎えてたんです。
でも、考えてみると「きっとOさんみたいに考えている劇作家の方は意外と多いのかなあ」って思いました。


頑張るしかありませんね。
いってみましょう。
まず、著作権法第38条第1項について確認します

38条1項では、公表された演劇の脚本は、(1)営利を目的とせず(非営利)、(2)観客から料金を徴収せず(無料)、(3)実演家に報酬を支払わない(無報酬)という3条件を満たせば、著作者に無許諾かつ上演料無料で上演することを認めています*3


このため、私は、全国高等学校演劇協議会が、大会に参加する全国の高校演劇部に対して、一切の例外なく、著作者に上演許可を得るよう(また、権利者に求められれば上演料5000円の支払いを行うよう)指導することは、法的に誤った対応であると考えています*4


しかし、38条1項の適用には難しいポイントが1つあります。
著作権法は第50条で「この款の規定は、著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならない」と定めています。
このため、38条1項により無許諾・無料での上演が認められる場合でも、同一性保持権*5などの著作者人格権は保障されることになるのです。


さて、Oさんのコメントにもどりましょう。

Oさんは、非営利・無料・無報酬の上演に対しても、著作権法第38条第1項の規定を無視して、権利者に上演許可を得るよう要求されています。
そして、その根拠の「一つは、芸術的な倫理観」とおっしゃいます。

しかし、私はOさんがおっしゃっていることは「芸術的な倫理観」ではないと思います。
なぜなら、Oさんは、ご自身の考えとして演劇の三要素が「観客、戯曲、役者」であることにふれたあと、つぎのように記されているからです。

考えてください、高校演劇だからと言って会場費タダになりますか? 道具の材料費、衣装、メイク、運送費タダになりますか? なりませんよね。なのに、欠くべからざる戯曲の使用だけが、無断、無料でいいのでしょう? わたしには理解できません。


私は、「会場費、材料費、衣装、メイク、運送費はタダにならないのに、戯曲の使用がタダなのは納得いかない」というのを「芸術的な倫理観」とは言わないと思います。
(たしかに、このなかでは、戯曲だけが芸術に直接関係のあるものではありますが・・・。)

「倫理観」というのは、「演劇の世界では、それがたとえアマチュアの上演であろうと、たとえ高校生の上演であろうと、脚本を書いた劇作家に直接連絡を取って、上演を認めてもらえるようお願いすることが当然の礼儀なのです」とか、そういうことだと思います。

また、Oさんが、演劇の三要素を「観客、戯曲、役者」だとお考えなら、なぜ、主催者が入場料を受け取らず、役者も無報酬なのに、戯曲作家にだけは報酬が支払われなければならないのでしょうか。
「戯曲の作者だけが報酬を受けること」が、「芸術的な倫理観」なのでしょうか。
私には、著作権法が定めるように、非営利の上演で、主催者が観衆から料金を受けず、実演家が報酬を受けない場合に限っては、脚本の著作者の権利も制限されるという方が「芸術的な倫理観」を尊重しているようにも思われます。


が、「倫理観」とは何かをあれこれ言い立てるのは、あまり生産的ではないように思います。
もっとOさんの疑問に正面から答えられるよう頑張ってみます。


なぜ、会場費、材料費、衣装、メイク、運送費はタダにならないのに、戯曲の使用は無料なんでしょうか?


思うに、それは、著作権と、会場費・材料費等は、対価として支払う費用の根拠となる権利の性質が異なるからではないでしょうか。

が、すいません、民法とか商法とかのことはすっかり忘れてしまっていてよく分かりません(ダメじゃん、俺)。
でもなんとか、もう少しだけ続けてみます*6


会場費はホールという施設の賃貸料、材料費・衣装は有体物の引き渡しに対する対価、メイク・運送費は用役(サービス)の提供に対する対価です。
すると、これらを無料にしろという類の制限を課すというのは、すなわち、個人や企業・団体の財産権や営業の自由に対して制限を課すことを意味します。
で、財産権や営業の自由の問題であれば、時と場合よっては制限されることもありますよね(タダにしろっていうのはちょっと思いつきませんが・・・)。


根本は日本国憲法第29条です。
2項と3項が制限規定です。

第29条 財産権は、これを侵してはならない。
第2項 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
第3項 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。


3項からは土地収用法が思い出されますし、きっと独占禁止法は営業の自由に対する制限の代表的な例でしょう。


ついでに、他の例を挙げると、たとえば、食品衛生法にはつぎのような規定があります。

第6条 次に掲げる食品又は添加物は、これを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)、又は販売の用に供するために、採取し、製造し、輸入し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない。
一 腐敗し、若しくは変敗したもの又は未熟であるもの。(以下省略)


財産権が保障され、また契約自由の原則があるにもかかわらず、「腐敗し、若しくは変敗したもの又は未熟であるもの」を「販売し」、「又は販売の用に供するために、採取し、製造し、輸入し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない」のです。


農地法第18条はこんな規定です。

第18条 農地又は採草放牧地の賃貸借の当事者は、政令で定めるところにより都道府県知事の許可を受けなければ、賃貸借の解除をし、解約の申入れをし、合意による解約をし、又は賃貸借の更新をしない旨の通知をしてはならない。ただし、次の各号のいずれかに該当する場合は、この限りでない。


法律により、農地の賃貸借の当事者は、勝手に農地の賃貸借を解除したりできないんですよ。


長いよ! 俺。

小括をしておきます。
たしかに、非営利等を理由に、会場費、材料費、衣装、メイク、運送費といったものがタダになるケースというのはちょっと見あたりません。
しかし、財産権がなんらかの制限を受けることはよくあることで、ただ著作権だけが権利制限の対象になるわけでもないのです。
ただ、権利によって、その制限される場面に違いがあるだけです。
(自信のない部分はここまでです。重ね重ねすいません。)


さて、つぎの問題です。


思うに、Oさんは、そもそも、著作権が制限される場合があるってことに納得されてないんじゃないかと。
著作権は絶対不可侵で、どんな場合でも尊重されるべきだって、そうお考えなんじゃないでしょうか。

そこで、著作権法の根本のところをもう一度説明してみましょう*7


著作権法第1条からいきます。

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。


著作権法の目的には、「著作者等の権利の保護」、「文化的所産の公正な利用」、「文化の発展に寄与すること」が挙げられています。


この点について比較的新しい概説書の解説を引用しておきます。

著作権法は、著作者に独占権を付与することを通じて、著作物が生み出されるための基盤を提供し、ひいては著作物の創作活動を誘引しているのである。


他方、著作物は単に生み出されただけでは社会を裨益しない。それは、人々に享受され、また次なる創作活動への礎となってはじめて、社会にとっての存在意義を発揮する。したがって、著作者の権利を一方的に強化し創作の誘因を高めるだけでなく、一定程度利用の自由を確保する必要もある。そこで、著作権法は、権利侵害となる利用行為類型や権利の存続期間などを限定することで、著作者の権利が無制約に強い権利とならないように配慮している。
*8


つぎに、特許との比較をしておきましょう。
特許法第1条です。

この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。


著作権法と同じ構造なのはお分かりいただけますね。
特許法は、発明を保護するとともに利用を図り、産業の発達に寄与することを目指しているのです。


このように、知的財産権の保障においては、著作権法でも特許法でも、権利を保護すると同時に制限もするという考え方がとられていて、それは著作権法だけに固有のものではありません。
そして、Oさんにもぜひご理解いただきたいのですが、知的財産権保護においては、権利者にどのような権利を与え、どのような制限を課すかは、法律によりその権利の種類に応じて定められているのです。
ですから、権利の保護も制限も、根拠は常に法律にあるのです。


1つ例を挙げておきましょう。

特許法第67条第1項で、「特許権の存続期間は、特許出願の日から二十年をもつて終了する」と定められています。
これに対し、著作権は、著作権法第51条第2項で、著作権は「著作者の死後(共同著作物にあつては、最終に死亡した著作者の死後。次条第一項において同じ。)五十年を経過するまでの間、存続する」となっています。

で、これは、「特許権著作権より軽い権利だ」とか、「特許権著作権と比べて大事じゃない」とか、そういうことではないのは分かりますか。

どっちも大事なんです。
どっちも大事なんですが、法律の目的を達成するために、それぞれの権利の性質に応じて、権利保護と権利制限の内容が異なっているのです。
発明の方は、著作権以上に、(発明の)利用を図ることによって、産業の発達に寄与することが期待されているので、存続期間が短いのです。


ここで、著作権法の権利制限規定について考えてみます。


質問です。
Oさんは、つぎのような場合に著作者・著作権者に利用許諾をとりますか?
あるいは、許諾をとるべきだとお考えですか?
なお、括弧内は著作権法の該当条文です。

(1)授業で使う教材として他人の著作物を複製する場合(第35条第1項)
(2)図書館で所蔵されている書籍のコピーをとるとき(第31条第1項第1号)
(3)定期考査の試験問題に他人の文章を利用するとき(第35条第1項、または第36条第1項)
(4)論文や報告書などに他人の著作物から引用するとき(第32条第1項)


このようなときに、いちいち許諾を取ったり、使用料を支払ったりしていないはずです。
もちろん、高校の先生方が生徒にそうするように指導してもいないでしょう。
なぜなら、これらの行為は、著作権法著作権が制限されているケースだからです。
法律でそう定められているから、それ以外には理由がないはずです。
念のためにいうと、これらの場合にも同一性保持権は生きていますし、権利者に無許諾・無料での利用が認められています。
38条1項と同じです。


では、どうして、上のようなケースでは著作権使用料を支払わないのでしょうか?

それは、これらの例が、「文化的所産の公正な利用」を通じて「文化の発展に寄与する」ために、著作者の権利を制限するものだからです。
文化の発展にとって、著作権保護はいうまでもなくとても重要なことですが、それと同時に権利制限規定も必要なものなのです。


最後にどうしてもふれておかなければならない問題があります。

Oさんは、最初のコメントから一貫して、そもそも一般的に「戯曲は、原作通りに演ることは不可能」なので、戯曲を上演すると、必ず同一性保持権の侵害になるという趣旨の主張をされています*9
そして、さらにこう書いてらっしゃいます。

わたしは無断上演を発見した場合、上演を記録したビデオまたはDVDの提出を求めます。改変されていないかどうかは台本では分かりません。また前述したように、原作と一言一句変えずに上演することは不可能だからです。もし、記録が無かったり、改変が行われている場合は、その時点で改変の許可願いを出していただきます。どうですか法的にはどこも間違っておりません。昔通り、上演許可を求めてこられた場合「上演料は払わない」と、おっしゃる場合、「では、作品の改編はいっさい認めません」と、お答えすることにしています。ただ、過去百五十あまりの上演でそういうケースはありませんでした。


このコメントはかなり問題だと思います。
上演許可を求められたときに、「『上演料は払わない』と、おっしゃる場合、『では、作品の改編はいっさい認めません』と、お答えする」というところです。

言いかえますね。
一方で、「戯曲は、原作通りに演ることは不可能」なので、戯曲を上演すると必ず同一性保持権の侵害になるといい、もう一方で、「『上演料は払わない』と、おっしゃる場合、『では、作品の改編はいっさい認めません』と、お答えする」というのは、いかがなものでしょうか。


これは私には明らかな権利濫用*10に思われます。
著作権法の適用において、権利濫用の抗弁は認められにくいとも聞きますが、さすがにこれはめちゃくちゃです。

Oさんのおっしゃる同一性の保持とは、「お金を払ってください。お金さえ払ってくれたら同一性保持権は問題ない」というのと何か違いがあるのでしょうか?

Oさんが「命を削って」書いた戯曲の、「ト書きの指摘、台詞の『てにをは』句読点にいたる」までのこだわりは、高校演劇部に5000円を払ってもらうことで解決できるのでしょうか?
でも、お金を払った人も「原作通りやることは不可能」なんですよね。


またもや、興奮しすぎました。
今日はこのへんで。


追伸
Oさん、感情的な文章になってしまってすいません。
これに懲りずに、またコメントしていただけたら幸いです。

*1:その1はこちらです。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20110810

*2:私の2008年8月28日のエントリーに対するコメント。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080828

*3:著作権法第38条1項 公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

*4:ですから、著作権法第38条1項に該当するにもかかわらず、上演許可がなければ高校演劇部は大会で既成脚本を上演することが許されません! 詳しくは、私の書いた以下のエントリーを参照してください。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20101122http://d.hatena.ne.jp/chigau/20101127http://d.hatena.ne.jp/chigau/20101129。全国高等学校演劇協議会の「著作権ガイドライン」は以下を参照してください。http://koenkyo.org/chosaku/chosakuindex.html

*5:著作権法第20条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

*6:ここから先の内容は、書いている私自身が合ってる気がしません。ただ、「一般的な財産権(=物権や債権)の問題と、著作権の問題は同一の論理では語れないはずだ」ということだけは理解していただきたいと思います。ほんとすいません。

*7:私はこの点について以前に「高校演劇において著作権指導はどうあるべきか」というエントリーを書いています。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080903/http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080905/http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080918/http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080923/1222098381

*8:島並良ほか『著作権法入門』(有斐閣、2009年)2ページ

*9:私は、この考え方には同意できませんこの点については先日のエントリーで私の考えを述べました。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20110810

*10:民法第1条第3項 権利の濫用は、これを許さない。