斉藤博「新著作権法と人格権の保護」を読む


こんにちは。


私は、ここしばらく、全国高等学校演劇協議会の「著作権ガイドライン*1のことを取り上げてきました。
が、こんなことばっかり書いていると、その世界の方からはイチャモンつけてるみたいに思われてるんじゃないかと、結構ヒヤヒヤしています。


そこで、今日のエントリーでは、高校演劇と上演許可について考える地道な作業を進めてみたいと思います。


なお、現在、私のおもな関心は、高校演劇における上演許可について、著作者人格権(とくに同一性保持権)*2との関係をどう考えるかにあります*3


さて、今日読むのは、斉藤博先生の論文「新著作権法と人格権の保護」*4です。
古い論文ですが、著作者人格権の基本的な事柄について知るうえで、有益な部分もあります。
なお、表題にある「新著作権法」というのは、1970(昭和45)年に成立した現行の著作権法のことです。


同一性保持権に関する記述で目を引くのは、同一性保持権の例外規定に関する部分です。
斉藤先生は、同一性保持権の例外規定について、最も問題となるものとして、「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」*5を挙げ、この規定の問題について次のように述べています。

新法に見られるような例外規定は、その気になれば、相当多くの意味内容を含みうるものである。


(中略)


たしかに、同小委員会*6での政府委員の説明では、20条2項3号の内容を比較的に限定的に考えようとしていることが理解できるとしても、かような歴史的立法者の意図がいつまでも妥当し続けるわけではないのである。
ひとたび制定さられた法はひとり歩きを始めるのである。
例外として規定されたものがいつの間にか原則的な規定の位置を占めることにならないとも限らないのである。


(中略)


これも、著作物の利用面にウェイトを置きすぎた規定といわざるをえないのである。


フェアユースが論じられることが多くなった)現代の私たちの視点から、この部分を読み直してみると、まさに、「かような歴史的立法者の意図がいつまでも妥当し続けるわけではない」、そういう時期が今まさにきているのではないかと思われます。


ですから、現在、(高校)演劇の世界において、いかなる場合であっても脚本の改変について、著作者の権利が制限されることはないかのように語られているのは、時代遅れになりつつあるのではないかと思うのです。

*1:http://koenkyo.org/chosaku/chosakuindex.html

*2:著作権法第20条第1項 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

*3:2010年8月以降の私のエントリーを参照してください。とりわけ、根本的な問題関心については、http://d.hatena.ne.jp/chigau/20100818を参照してください。

*4:著作権研究』第4号(1971年)所収。この論文において、斉藤先生は、著作者人格権を重視する立場をとっています。

*5:著作権法第20条第2項第4号。ただし、論文発表当時は著作権法第20条第2項第3号。

*6:第63回国会衆議院文教委員会著作権法案審査小委員会を指す。