高校演劇において著作権指導はどうあるべきか(その4)


さて、前回の続きです。


著作権法第38条1項*1はなぜ存在するのか、考察をつづけます。


前回の結論は、著作権は「文化の発展、創作活動の奨励という目的を達成するために、人工的に付与されたものに過ぎない」ものであり、「制度目的に応じて、どのような行為をどのような形で権利に服せしめるのかということを自由に決定してよい」ということでした。*2


同じ主旨のことを中山信弘さんは次のように書いています。

そもそも著作権は天賦の人権ではなく、(中略)、どのような内容の権利を創作者に分配することが情報の豊富化につながるか、(中略)、という観点から決められるべき性質のものである。*3


では、改めて、著作権法における権利の保護内容を確認することからはじめましょう。

第51条2項
著作権は、(中略)、著作者の死後(中略)五十年を経過するまでの間、存続する。


特許権が出願から20年とされているのに対し、著作権では極端に保護期間が長くなっています。


また、

第17条
著作者は、次条第一項、第十九条第一項及び第二十条第一項に規定する権利(以下「著作者人格権」という。)並びに第二十一条から第二十八条までに規定する権利(以下「著作権」という。)を享有する。

とあり、著作者人格権という一身専属の、強固な権利が認められています。
これは特許にはないもので、著作権が文化の範囲に属するものであり、思想・感情の表現を保護するというその権利の特徴から導き出されるものと考えられます。
なお、高校演劇では、著作者人格権のうち、とくに同一性保持権(第20条)が大きな問題となります。


また、著作権法は、情報の独占的利用を著作者、著作権者に認めています。
著作権で押さえられているものを具体的に挙げてみると、複製権(第21条)、上演権及び演奏権(第22条)、上映権(第22条の2)、公衆送信権等(第23条)、口述権(第24条)、翻訳権・翻案権等(第27条)、二次的著作物の利用に関する原著作者の権利(第28条)など多岐にわたります。


このように、著作権は、その保護期間や保護される権利の内容からみて、非常に強い権利となっています。
そして、ここに著作権に制限規定が存在する理由があるのです。


中山さんは次のように書いています。

著作権法は、創作者に独占的な権利を付与しているが、その目的は文化の発展にあり、そのためには著作者の経済的利益と情報を利用する社会一般との調和を図る必要があるから、権利に制限があるのは当然である。*4


では、著作権法では、具体的には、どのような場合に著作権が制限されているのでしょうか?
田村善之さんは、著作権が制限されるケースを次の4つに分類しています。*5

  1. 人間の行動の自由を過度に害することがないよう、著作権者に与える影響が少ないと考えられる一定の行為について、著作権が制限される場合(私的複製(第31条)、非営利使用等(第38条)など)
  2. 利用の性質上、禁止権を制限せざるをえない、禁止権を制限しても構わない、あるいは禁止権を制限した方がよい場合(試験問題としての複製(第36条)、点字による複製(第37条)、教科用拡大図書等の作成のための複製(第33条の2)など)
  3. 有体物の権利である所有権等との衝突を緩和するために設けられている調整規定
  4. 著作物の利用を促進すべきという判断から設けられている制限や、教育、報道、行政、立法、司法のような公益に鑑みて設けられている制限規定(図書館等における複製(第31条)、学校その他の教育機関における複製等(第35条)、引用(第32条1項)、時事問題に関する論説の転載等(第39条)、国・地方公共団体の機関の広報資料等の転載(第32条2項)など)


このうち、私が取り上げている第38条1項は(1)のケース、すなわち「人間の行動の自由を過度に害することがないよう、著作権者に与える影響が少ないと考えられる一定の行為について、著作権が制限される場合」にあたります。
そして、これは、「どのような内容の権利を創作者に分配することが情報の豊富化につながるか」という観点から、著作権法に設けられた制限規定なのです。


以上が、著作権法第38条1項が存在する理由です。


さて、ここで再び、私の関心に引きつけて考えてみます。
著作権法第38条1項を以上のように理解すると、全国高等学校演劇協議会が、全国大会での既成作品の上演について、「既成作品を上演する際には、上演する台本についての許諾を著作者に得ること」*6と定め、38条1項に該当するケースでも上演許可の取得を強制していることは、どのように評価すべきなのでしょうか?(この文は2008年9月24日に修正しました)


全国高等学校演劇協議会は、この点に関して次のように述べています。

全国高演協の規約は、現行の著作権法と比較すると、より厳しい制約を課したものである。我々は教育現場で作品を創っているのであり、生徒にも、著作者が汗を流し、命を削って創り出したものを上演させていただく、というモラルを徹底する必要があるとの思いから決められた規約である。*7


これがおかしな発想なのはお分かりですね。
もし分からなければ、こう考えてみてください。


高校演劇に携わる先生方は、38条1項以外の著作権制限規定についても、自ら進んで「より厳しい制約」を課したりしているのでしょうか?
また、そのように高校生に指導しているのでしょうか?


授業で使う教材について著作者に許諾を取りますか?
図書館でコピーするときはどうですか?
試験問題を作成するときはどうですか?
国や都道府県・市町村の機関の広報資料を転載するときはどうですか?
私的に書籍のコピーをとるときはどうですか?


このようなとき、高校の先生方はいちいち許諾を取ったり、使用料を支払ったりしていないはずです。
もちろん、生徒にそうするように指導してもいないでしょう。
どうして、38条1項は無視して著作権料を支払うのに、教材をコピーするときなどには支払わないのでしょうか?
まさか、「著作者が汗を流し、命を削って創り出したもの」を使用させていただく、というモラルが我々に不足していた、反省する、とか言って、今後は著作権法の制限規定にかかわらず、著作権料を支払うことにする、とかはないですよね(この文は2008年9月24日追記しました)。


では、なぜ既成脚本のケースに限って、全国協議会として、参加校に必ず許諾を得ることを求め、多くの場合に5000円の上演料を支払うことを良しとするのでしょうか?
全国高等学校演劇協議会は、これまで、この点を明確に説明していないのです。
私はこれはたいへん拙いことだと思うのです。*8


なお、著作権法第38条1項については、日本の演劇界全体が、これを無視して非営利・無料・無報酬の演劇公演に対して、上演料を要求している実体があり、決して高校演劇だけの問題ではないことも付け加えておきたいと思います。*9

*1:公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

*2:田村善之『知的財産法(第4版)』有斐閣、418〜419ページ

*3:中山信弘著作権法有斐閣、241ページ

*4:同上

*5:田村、前掲書、440〜441ページ

*6:http://koenkyo.org/ensou/ensou109/106_1.html#saikei

*7:http://koenkyo.org/ensou/ensou109/106_1.html#chsaku

*8:全国高等学校演劇協議会から、この点について明確な説明がないことが、高校における著作権指導に及ぼす問題については、私の2008年9月2日付けの記事をご覧ください。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080902/1220352865
さらにいえば、高校演劇では、上演の際に使用する音楽については、なんと著作権使用料を支払っていません(これも著作権法第38条1項の問題です)。
上演権と演奏権で、非常にちぐはぐな対応になっているのです。

*9:この点については、さしあたり私の2008年8月20日の記事を参照してください。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080820