著作権法第38条1項と同一性保持権(同一性保持権の放棄?:その2)
こんにちは。
私の前回記事に対して、はてなブックマークを通じて、適切な指摘をいただきました。*1
そこで、今日は、その指摘に関連して、「同一性保持権の放棄?:その2」を書いておきたいと思います。
いただいたご指摘は、鴻上尚史さんの戯曲『トランス』の「上演の手引き、またはあとがきにかえて」に、次のような記載があることを根拠に、私が、「鴻上さんは同一性保持権を放棄している」という主旨の記述をしたことに向けられたものでした。
もう一度、鴻上さんの文章を掲げます。
この作品は、日本全国のあちこちで、上演されることを前提に書きました。
(中略)
この芝居の理想ランニング・タイム(上演時間)は、1時間50分です。実力に応じて、1時間30分から1時間50分の間で決めて下さい。
ただし、この戯曲をそのまま上演すると、どんなに早口で喋っても、2時間はかかります。思い入れたっぷりに、ゆったりとした間を取ったりすると、2時間15分ぐらいになるかもしれません。
ですから、この戯曲は、実際に上演したときにカットしたセリフも、復元して載せてあります。
どこをカットするかは、あなたの自由です。
改めて鴻上さんの文章を読んでみると、ここで鴻上さんが認めているのは、「1時間30分から1時間50分の間」で上演するために、「どこをカットするかは、あなたの自由」だということです。
とすれば、私の関心に即して言えば、次のように考えられないでしょうか。
(1)『トランス』を非営利・無料・無報酬での上演する場合に、脚本の改変が全くない場合は、無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認められる。
これは当然。
著作権法第38条1項の規定*2がそのまま適用されるケースです。
問題は次の場合。
(2)『トランス』を非営利・無料・無報酬での上演する場合に、脚本の改変はあるが、改変の内容が「1時間30分から1時間50分の間」で上演するために脚本の一部を「カットする」改変にあたる場合です。このような場合には、無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認められると考える可能性があるように思います。
なぜなら、著作者が、このような改変は「あなたの自由」だとして認める意思をあらかじめ、かつ明確に示しているので、そのような改変を行うにあたって、改めて著作者に許諾を得ることを求められ、あるいは著作権使用料を要求されることは、著作権法第38条1項の権利制限の趣旨に合わないのではないかと思われるからです。
まとめます。
ご指摘の通り、鴻上さんが、完全に同一性保持権を放棄したわけでないのは明らかです。
しかし、『トランス』のケースでは、一定の範囲での改変に限り著作者が同一性保持権を放棄*3したものと考えられるので、著作権法第38条1項の趣旨を生かして、無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認められる可能性があるのではないでしょうか。
実は、この問題は成井豊さん(演劇集団キャラメルボックス)のケース*4にも関わります。
成井さんのケースは、また改めて取り上げてみたいと思います。
*1:http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/chigau/20100831/1283252788。ks1234_1234のコメント「『同一性保持権は放棄した』なぜそうなる。『変える場合の方針』が明記されてる=それ以外の改変は許してない。」
*2:非営利・無料・無報酬での上演について無許諾かつ著作権使用料無料での上演を認めています
*3:「放棄」という言葉に抵抗があるとすれば、「改変についての同意」という言葉を使った方がよいかもしれません。たとえば、中山信弘先生は『著作権法』(有斐閣、2007年)のなかで、「著作者人格権の放棄」と「改変についての同意」という言葉を両方用いて論じています。