全国高校演劇協議会が、高校生が非営利・無料・無報酬で上演するときにも、上演料5000円を支払うよう指導する理由とは?(その2)


こんにちは。

全国高等学校演劇協議会が作成した「著作権ガイドライン*1についての検討を続けます。


まず、前回*2の確認ですが・・・。
全国高校演劇協議会は、高校演劇部の非営利・無料・無報酬で脚本の改変がない上演についても「上演許可」を取ることを「高校演劇独自のルール」だと定め、権利者に対して上演料5000円の支払うよう指導しています。


著作権法は、非営利・無料・無報酬かつ脚本の改変がない上演について、権利者に無許諾かつ上演料無料で上演することを認めているのに*3、これは、いったいぜんたい、なぜなのでしょうか?


私の仮説は・・・。
何らかの理由で、全国高校演劇協議会が、権利者側(劇作家)の意向に添う対応を迫られてしまっているためではないかと思います。

うーん、少し違うか?

全国高校演劇協議会が、権利者の団体と法的な話がきちんとできなくて(弁護士とかにちゃんと相談しているんでしょうか?)、かつ、高校演劇部の顧問の先生方がこの問題を最終的に裁判で争うのを避けようとする傾向があって、結果として、権利者側のいいなりになっているのではないかと思うのです。


今日はこのことを、全国高校演劇協議会「著作権ガイドライン」(以下「ガイドライン」と略します。)における脚本と音楽の扱いの違いに着目して検証してみます。


では始めます。
はじめに、もう一度、「ガイドライン」が脚本の改変について説明している箇所を確認しておきましょう。

 高校演劇では、全国大会の上演時間が60分以内と定められているため、各ブロック、県、地区大会でも同様の規則を定めている場合がほとんどです。
 60分以内で上演するためには、脚本をカットしたり一部改変したりする作業が必要になります。また、役者の男女比や人数の問題から、語尾を変えたり、脚本をカットしたりする必要も生じてきます。
 つまり、ほとんどのケースで脚本を改変する場合が多いため、「改変の許可を含めた上演許可を取る必要」が生じるのです。
 そこで、高校演劇の大会では、無料公演であってもきちんと「上演許可」を取ることが独自のルールとして定められてきたのです。


つぎに、「ガイドライン」には「無料公演における音楽著作権の自由利用」について述べた部分もあります。
音楽に関する該当部分を引用します。

音響効果さ(ママ)や舞台上で演奏や歌唱する場合、著作権のある楽曲を使用する場合、基本的には、著作権者から演奏の許可を得ることが定められています。
しかし、無料公演で、非営利目的の上演の条件を満たしている場合、「著作権の制限」の対象となり、著作権者の許可なく利用が可能となります。
脚本については、改変する必要が生じる場合がほとんどなので、非営利目的の上演であっても、必ず許可を取るという高校演劇独自のルールを定めていますが、音楽に関しては、改変する必要が生じない場合が多いため、法律の規定に従い自由に利用して良いことになっています。(無料公演で、非営利目的の上演を満たしている場合に限る)


どうですか?
私は苦笑するしかありませんでした。


皆さんは、「音響効果さ(ママ)や舞台上で演奏や歌唱する場合」、「音楽に関しては、改変する必要が生じない場合が多いため、法律の規定に従い自由に利用して良い」という全国高校演劇協議会による説明を本当だと思いますか?


私は違うと思います。


ていねいにいい直しますね。
ガイドライン」が用いる「改変」という言葉のさす意味内容が、音楽の場合も脚本の場合と同じであれば、「音楽に関しては、改変する必要が生じない場合が多い」とは絶対に言えないと思います。


どなたでもお分かりいただけると思いますが、劇中で音楽を使用する場合に楽曲を1曲まるごと使うってことはほとんどありません。
「音響効果さ(ママ)や舞台上で演奏や歌唱する場合」は、ほとんどのケースで楽曲の一部をカットして短くするという形の改変を行いますから。
もうおわかりですね。
そう、これはちょうど既成脚本の一部をカットして、大会規定の上演時間60分以内におさめるのと同じような改変なんです。


で、事実としては、高校演劇の大会では音楽については権利者の許諾は基本的に要求されていません。
が・・・、演劇の上演する際に使われる音楽は、ほとんどの場合に改変されています。


とすれば、全国高校演劇協議会が、もし「ガイドライン」のいう「改変」という言葉を、音楽の場合も脚本の場合と同じ意味で使用していれば、「音楽に関しては、改変する必要が生じない場合が多い」とは絶対に言えないはずなんです。


で、(ここからが重要なんですが・・・)演劇部の顧問の先生から上演許可について指導されている高校生もそれぐらい気がつくと思うんです。
ちょっと頭のいい子なら・・・。
そこで、高校生から、
「脚本は一部カットする場合でも権利者の許可が必要なのに、音楽の場合には権利者の許可はとらなくてもいいんですか?」
と質問されたら、この「ガイドライン」を作られた先生は、いったいどのように説明するのでしょうか?


この点について「ガイドライン」にはつぎのような記載があります。

楽曲をそのまま利用せず、歌詞をかえたり編曲したりするなど楽曲を改変する場合は、「著作者人格権」にかかわってきますので、改変の許可が必要です。


つまり、明言されてはいませんが、「ガイドライン」で用いられている「改変」という言葉は、脚本と音楽では違った意味で使用されているわけです。
そして、全国高校演劇協議会の考えとしては、音楽について、楽曲の一部をカットして短くするという改変は、著作者人格権にかかわってこないので、改変の許可は不要だということです。


なぜでしょう?


私はこの原因が権利者側の態度にあるのではないかと思うのです。


まず演劇の場合です。
日本演劇協会*4は、(ズルいことにWeb上には公表していませんが・・・)アマチュア演劇の上演料を次のように定めています。

入場料無料・上演時間1時間30分以内の場合 10,000円
入場料無料・上演時間1時間31分以上の場合 20,000円

(中略)

・尚、高校演劇に関しては(入場無料の場合)上演時間にかかわりなく、上演1回につき、5,000円とする。

・当規定は1993年(平成5年)5月1日より実施*5


この規定について、気がつくことをまとめておきます。
(1) 上演するのがアマチュアですから基本的に非営利・無料・無報酬での上演だと思うんですが、日本演劇協会の感覚では上演料取るのがデフォルトなんですね。


(2) そして、アマチュアであっても(プロの公演と同様に)、原則として、上演時間が長くなると上演料が高くなります。


(3) しかし、1時間31分以上の上演時間の作品は脚本を改変することなく上演するよりも、脚本をカットする改変をおこなって上演時間1時間30分以内にした方が、上演料が安くなってしまうというパラドックスが・・・。
この点について、私は日本演劇協会に電話で確認したことがあります。
そのとき電話に出た方によれば、この規定は、著作権法上、脚本の改変の有無によって上演料が有料になるケースと無料になるケースがあるということは考慮しておらず、アマチュアの上演においても(プロと同様に)脚本の改変の有無にかかわらず上演料を求めているそうです*6


(4) (1)・(2)・(3)の延長線上の話として・・・。
日本演劇協会は、高校演劇*7においては、脚本の改変の有無や「上演時間にかかわりなく、上演1回につき、5,000円」の上演料の支払いを求めているそうです・・・。


つぎに音楽について、日本音楽著作権協会JASRAC)の対応見てみます。


JASRACの公式サイトには「音楽ユーザーの皆さま 手続きのご案内」や「学校など教育機関での音楽利用について」という案内があり、そのリンク先に「演劇・漫才などの催し」という部分があります。*8
で大事なのは「演劇・漫才などの催し」のところに「はじめて利用手続きをされる方」に対して「手続きの前に」見てもらいたい内容が示されていることです*9


引用します。

コンサート、ダンス・演劇の公演、オペラ等の上演などに音楽をご利用の場合には、事前にJASRACに利用申込手続きをとり、許諾を受けてご利用ください


■開催される催物によっては、JASRACへのお手続きは必要ない場合がありますので、ご不明な点はお気軽にご相談ください。


■下記の(1)・(2)のいずれかに該当する催物は、申込書類のご提出は必要ありませんが、念のため、各支部までご連絡いただけますようお願い申し上げます。
(1)JASRACの管理作品を利用しない場合
著作権が消滅した作品やJASRAC非管理の作品のみを利用する場合
(2)著作権法第38条1項の規定に該当することにより自由利用が認められる場合※(以下の3つの要件をすべてみたす場合のみ)
・営利を目的としない
・聴衆または観衆から入場料(いずれの名義をもってするかを問わない)を受けない
・出演者に報酬(ギャラ)が支払われない


※下記A〜Dのような催物は、第38条1項の自由利用の範囲にはあたらず、お手続きが必要となります。
A:営利法人(株式・有限会社など)・営利を目的とする団体または個人が主催・共催のとき
B:特定の商品やプログラムなどを購入した方でなければ入場できないとき
C:年会費などの会費を徴収し、それらの会費で運営されるとき
D:出演者に交通費・宿泊費などの実費を超える金銭・常識的範囲を超える物品等が渡される、 または出演者のCD・カセットテープ販売など実演家の収益につながるようなサービスを条件に実演家が出演するとき


改変云々について、JASRACの説明では触れていません。


このように、作品の改変について、脚本=日本演劇協会と音楽=JASRACでは、対応が全く異なっているのです。*10


そこで、私は、この権利者サイドの考え方・意向にそのまま添う形で、全国高校演劇協議会の「著作権ガイドライン」が書かれているのではないかと思うのです。
なぜ、権利者側のいいなりなのか?
それはよくわかりませんが・・・。


いずれにしても、生徒の疑問に答えられない「著作権ガイドライン」っていうのは、ちょっと(っていうか、かなり)いただけないのではないかと思います。

*1:http://koenkyo.org/chosaku/chosakuindex.html 以下「ガイドライン」と略します。

*2:http://d.hatena.ne.jp/chigau/20101127

*3:著作権法第38条1項は次のように定めています。「公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。」

*4:http://d.hatena.ne.jp/chigau/20081001を参照してください。公式サイトhttp://www.jtaa.or.jp/

*5:私が日本演劇協会から直接いただいた資料による。実物は表の形になっています

*6:日本演劇協会の電話に出た方は、この上演料規定に法的拘束力がないことも理解しているようでした。いやはや・・・。それと・・・、議論としてはまったく無意味なんですが、こんなことを考えてみるとバカバカしい感じがよく分かります。仮に、脚本の改変なしで2時間の作品を上演する場合を考えてみます。この場合著作権法日本演劇協会の規定をともに尊重する立場をとると、全く改変しないで2時間上演する場合は上演料無料、1時間31分以上の上演時間の範囲になるような小さな改変をおこなうと20,000円、1時間30分以内になるよう大規模にカットすると15,000円になります。上演時間が一番長いケースで上演料が無料になり、脚本をちょっとカットすると一番高くて、カットしまくると最も安くなってしまうので、何だか笑っちゃいます。

*7:今日の本題からはズレますが、この規定のいう「高校演劇」が、高校演劇部が全国高校演劇協議会や都道府県単位の連盟主催の大会において上演する場合に限定されるのかどうかは気になります。

*8:http://www.jasrac.or.jp/info/event/ent.html

*9:http://www.jasrac.or.jp/info/event/bepro.html

*10:もちろん、演劇と音楽という異なる形式の表現をまったく同列で語ることはできませんが・・・。以下追記です。JASRACは、演劇上演で音楽が使用される際の改変(短くカットすること)は、いわゆる「やむを得ない改変」にあたると考えているのかもしれません。著作権法第20条は、第1項において同一性保持権を定め、著作者の意に反する改変を禁止していますが、第2項においてその例外を列挙しています。なかでも第4号は一般条項的な意味をもっており、これに該当する改変は「やむを得ない改変」と呼ばれているのです。「第20条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。 2  前項の規定は、次の各号のいずれかに該当する改変については、適用しない。 四  前三号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」。なお、「やむを得ない改変」については、私の以下のエントリーも参照してください。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20100820

全国高校演劇協議会が、高校生が非営利・無料・無報酬で上演するときにも、上演料5000円を支払うよう指導する理由とは?(その1)


こんにちは。


全国高等学校演劇協議会が作成した「著作権ガイドライン」(以下「ガイドライン」と略します)*1についての検討を続けます。


ガイドライン」は、高校演劇で既成の脚本を上演する場合の上演料について、次のように書いています。

高校演劇では、上演許可を取ると同時に上演料を支払うことになっていますが(以下略)


この文言は(高校演劇が、通常、非営利・無料・無報酬で上演されていることを考えると)、にわかには信じがたいものです。
著作権法が、非営利・無料・無報酬での上演は、権利者に無許諾かつ著作権使用料の支払いなしに、上演できることを定めているからです*2
ただし、法的には、このような場合にも、同一性保持権*3は、影響を受けないとされているので、著作者の意に反する脚本の改変はできません。


が、前回のエントリー*4でご紹介したとおり、そもそも全国高校演劇協議会は、次のような論理で、高校演劇部の非営利・無料・無報酬で上演においても「上演許可」を取ることを「高校演劇独自のルール」だと定めているのです。

(高校演劇では)脚本を改変する場合が多い
     ↓
(ほとんどのケースで)「改変の許可を含めた上演許可を取る必要」が生じる
     ↓
 高校演劇の大会では、無料公演で、改変のない場合でも必ず「上演許可」を取ることが独自のルールとして定められてきた


なんというか・・・雑な(恣意的な?)論理です*5


で、ここからが今日の問題なのですが、仮にその論理を受け入れるとしましょう。
それが、なぜ「高校演劇では、上演許可を取ると同時に上演料を支払うことになっています」となるのか、これはまったく理解できません。


図式的に示せば、こういうことになってしまいます。

(高校演劇では)脚本を改変する場合が多い
     ↓
(ほとんどのケースで)「改変の許可を含めた上演許可を取る必要」が生じる
     ↓
 高校演劇の大会では、無料公演で、改変のない場合でも必ず「上演許可」を取ることが独自のルールとして定められてきた
     ↓
 高校演劇では、上演許可を取ると同時に上演料を支払うことになっています

まったくなんのことやら、理解不能な論理です。


と、ここで、「いやいやそうじゃないよっ」って声が聞こえた気がします。
わかってますって、その後を読めっていうんでしょう。
確かに「ガイドライン」には、こう書いてあります。

これは、社団法人日本演劇協会が、アマチュア演劇公演の料金について以下のように定められていることが根拠になっています。(以下に参考資料として掲示してあります。)
高校生の無料公演に関しては、上演時間に関係なく、上演1回につき5,000円と明記されています。法的な根拠があるわけではありませんが、慣習として、多くの劇作家の方がたの間に定着しています。


しかし、残念ながら、これでは根拠にはなりません*6
なぜなら、まず第1に、日本演劇協会はプロの演劇関係者がつくっている団体で、アマチュア演劇の関係者(高校演劇の関係者を含む)を含まない団体だからです。


だって皆さん考えてもみてください。
仮に、日本音楽著作権協会JASRAC)が、「アマチュアバンドが、非営利・無料・無報酬でライブを行う場合、演奏時間1時間あたり5000円支払うこと」という規定を勝手に作って、無料ライブを行ったアマチュアバンドに著作権使用料の支払いを要求してきたらどう思いますか?
あなたなら著作権使用料を支払いますか?*7


つまり、「社団法人日本演劇協会が、アマチュア演劇公演の料金について以下のように定められている」というのは、日本演劇協会(=権利者団体)が、著作権法の規定を無視して、勝手に上演料の支払いを押しつけてきているっていうだけの話なんです。
ですから、全国高校演劇協議会が、それを根拠に「高校演劇では、上演許可を取ると同時に上演料を支払うことになっています」といってしまうのは、まったく理解不能なわけです。


第2に、「ガイドライン」は、「法的な根拠があるわけではありませんが、慣習として、多くの劇作家の方がたの間に定着しています」とも書いています。
しかし、この部分もナンセンスです(そもそも法律の規定を無視して日本演劇協会(=権利者団体)が定めたことに法的な根拠があるはずはありませんし・・・)。


だって、権利者団体が定めた通り上演料を請求することが、多くの劇作家(=権利者)に慣習として定着しているのは、あくまでも劇作家の方々の側の事情ではないですか。


これが、脚本の改変がない場合にも上演料5000円を支払うということが、日本演劇協会会員の劇作家と全国高校演劇協議会加盟の全国の高校演劇部との間に、すでに慣習として定着しているというのならば話は少しややこしくなりそうです*8
しかし、実際にはそういう慣習が定着していないからこそ、全国高校演劇協議会は、いまだに「高校演劇独自のルール」の遵守を全国の高校演劇部にことあるごとに呼び掛け続けているのではないでしょうか。


今日のまとめです。


全国高校演劇協議会が、高校演劇部の非営利・無料・無報酬で脚本の改変がない上演についても「上演許可」を取ることを「高校演劇独自のルール」だと定め、権利者に対して上演料5000円の支払うよう指導することは、法的にみて適切なこととは考えられません。


それは、一見ていねいにまとめられた「著作権ガイドライン」の説明が、実は論理的に破綻していることから明らかです*9

*1:http://koenkyo.org/chosaku/chosakuindex.html

*2:著作権法第38条1項は次のように定めています。「公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。」

*3:著作権法第20条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

*4:http://d.hatena.ne.jp/chigau/20101122

*5:この論理のもつ問題点は、また別のエントリーで論じたいと思っています。論点の1つは、高校演劇の既成作品の上演において、本当に「ほとんどのケースで脚本を改変する場合が多い」のかということです。

*6:本論とはまったく関係ありませんが、「ガイドライン」には日本語の表現としておかしい箇所がいくつもあります。引用箇所の1文目は、「社団法人日本演劇協会」に対する尊敬語的な表現なんでしょうか? 全国高校演劇協議会は言葉に関わる団体なんでがんばってください。かくいう私もときどき変な文を書いてますが・・・。

*7:私は、以前、日本音楽著作権協会JASRAC)と日本演劇協会とを対比するエントリーを書いたことがあります。ちなみに、日本演劇協会著作権管理団体ではありません。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20081001

*8:この問題については、私のエントリー「著作権法第38条1項と契約のoverridability」を参照してください。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20100907

*9:ということで、全国高校演劇協議会の著作権法に対する理解がそもそも間違っているということになります。しかし、これだけていねいな「ガイドライン」を作成されていることを考慮すると、(非常に穿った見方をすればですが)実はいろいろ法的なことはよく分かっていて、何らかの事情があって意識的に法的・論理的に間違った苦しい説明をしている可能性を想像してしまいます。

全国高校演劇協議会が「著作権ガイドライン」をアップしていた


こんにちは。ご無沙汰しています。


ビッグニュースです!
あの全国高等学校演劇協議会が、「著作権ガイドライン*1を公式サイトにアップしています。
今年の9月23日にアップされたようです(サイトに具体的な更新履歴が書いていないので定かではありませんが・・・)。


しかも、内容がなかなかよい!*2
とにかく、最初から通して読んでみてください。
いやあ、全国高等学校演劇協議会にもわかっている人はいたんですね。
権利制限規定についてもちゃんと説明してありますよ!
引用します。

☆ 著作権の制限
 
著作権の制限」とは、「著作権」が消滅していない著作物であっても、いくつかの場合では、例外的に著作権者から許可をえずに上演・演奏したり、複製したりして利用することが可能になるというものです。例えば、個人で楽しむ場合の音楽の複製は許可がいりませんし、ルールを守ったうえでの「引用」も許可がいらないことになっています。
 すべての例外の事例はここでは述べませんが、高校演劇に最も関連の深い例外が、著作権法三十八条「営利を目的としない上演等」です。
無料で公演する場合、次の条件を満たしていれば、著作権法三十八条(営利を目的としない上演等)に該当し「著作権の制限」が適用され、著作権者の許可なしに、「著作物」を上演・演奏することが可能になります。
 
ア・ 「上演」「演奏」「上映」「口述」のいずれかであること
イ・ すでに公表されている著作物であること
ウ・ 営利を目的としていないこと
エ・ 聴衆、観衆から料金等を受けないこと
オ・ 主演者等に対して報酬が支払わないこと
カ・ 慣行がある時は「出所の明示」が必要
 
注1・ ウ「営利を目的としていないこと」では、主催・共催団体に営利企業(新聞社等)が含まれていると適用外となります。
注2・ エ「聴衆、観客から料金等を受けないこと」では、パンフレットの購入が入場の条件になっている場合は料金を受けたとみなされます。
注3・ カ「慣行がある時は「出所の明示」が必要」では、脚本名、作者名を記すことが、高校演劇では、「慣行」となっています。
 
 高校演劇では、無料による公演がその主旨からもふさわしく、ほとんどの大会が無料で行われています。ですから、本来、著作権法第三十八条の条件を満たしている無料公演であれば、著作権者の許可なしに、「脚本」を自由に上演することが可能です。

どうですか。
かなりよいと思いませんか?
ちょっと嫌みですが、「ここまでわかってるんなら、ずーっと前にこういうのを出してほしかったっ」って思うくらいです。


が・・・、全国高校演劇協議会が定めた現行ルールは変えないという前提で考えているのは問題だと思います。
実は上の引用部分のあとには次のような文章が続いているのです。

しかし、この点については、高校演劇独自のルールが定められていますので、著作権のある「既成脚本(潤色・構成含む)」を上演するためには、必ず著作者の許可が必要です。高校演劇独自のルールについては後に説明します。


うーん。
「高校演劇独自のルール」ときたか。
私は以前から、高校演劇指導者が、著作権法上、権利制限規定の適用がある高校演劇のケースにおいて、それでもなお上演許可を得て上演料を支払うことを大会参加の条件としている根拠が示されていないことを批判してきました*3
ですから、そういう意味では、「高校演劇独自のルール」という言い方はウマいと思います。
では、全国高等学校演劇協議会の説明を見てみましょう。

☆ 既成的作品群の上演許可取得について
 
 既成・潤色・構成作品(既成的作品群)に関しては、「上演許可」を得ることが、上演にするにあったて必ず必要になります。これは、高校演劇独自のルールのひとつです。


(中略)


 では、なぜ「上演許可」を取るという独自のルールが定められてきたのでしょうか。
 確かに、無料公演では「財産権」のうち上演権・演奏権は「著作権の制限の対象となり、上演許可を取る必要ないように思えます。ただし、あくまでも、上演権や演奏権のみが対象であり、複製権や二次的創作物の創作権などは制限されません。
 また、著作権者が持っているもうひとつの権利である「著作者人格権」は、無料公演のケースでも制限されることはなく、必ず著作者の許可を取ることが必要になります。
 高校演劇では、全国大会の上演時間が60分以内と定められているため、各ブロック、県、地区大会でも同様の規則を定めている場合がほとんどです。
 60分以内で上演するためには、脚本をカットしたり一部改変したりする作業が必要になります。また、役者の男女比や人数の問題から、語尾を変えたり、脚本をカットしたりする必要も生じてきます。
 つまり、ほとんどのケースで脚本を改変する場合が多いため、「改変の許可を含めた上演許可を取る必要」が生じるのです。
 そこで、高校演劇の大会では、無料公演であってもきちんと「上演許可」を取ることが独自のルールとして定められてきたのです。*4

私は、これは強引な論理だと思います。
飛躍?してます。
私には、この文章の構造が日本語としてちょっと分かりにくいのですが、たぶんこういう論理だと思います。

(高校演劇では)脚本を改変する場合が多い
     ↓
(ほとんどのケースで)「改変の許可を含めた上演許可を取る必要」が生じる
     ↓
 高校演劇の大会では、無料公演であっても「上演許可」を取ることが独自のルールとして定められてきた

で、皆さんお気づきだと思うんですが・・・。
「ほとんどのケース」で上演許可を取らなければならないのは、まあわかります。
しかし、「ほとんどのケース」に含まれない少数のケースにまで上演許可を取ることが大会参加の条件として強制される根拠はまったく示されていません。
これではマズいでしょう。


想像ですが、きっとこのガイドラインをまとめた方々は、このことに気づいていると思います。
何しろこの「著作権ガイドライン」はすごく丁寧につくられているのです。
そのことについては敬意を表したいと思います。
しかし、だからこそ、説明の苦しいところが明らかだし、残念ながらおかしなルールは誤魔化しきれないんですね。
ここまでちゃんとやったんですから、腹をくくって、この部分には論理的整合性がないんだということを明らかにした方がいいと思います。
そして、全国高校演劇協議会の現行ルールは変えないという前提を一度取っ払って考え直した方がいいと思います。


次回は、私がこだわっている上演料5000円に関する部分についてまとめてみたいと思います。*5

*1:http://koenkyo.org/chosaku/chosakuindex.html

*2:が、いいところの指摘は今後の課題にさせてください。

*3:たとえば、http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080902 など

*4:なお、著作者人格権(当然、同一性保持権も含みます)の説明は別の部分でなされています。

*5:たとえば次のエントリーを参照してください。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20081001

著作権法第38条1項に関するあるコメントへの返答


こんにちは。
今日は、最近のエントリーとは少し違った切り口で書きます。
なるべく著作権法上の問題に限定したいと思いますが、テーマの性質上、いつも避けている演劇の世界の実情にも言及せざるをえません。


マチュアで演劇の脚本を書かれている森崎啓介さんは、ご自身のサイト*1で自作の脚本を公開されています。
森崎さんは、上演許可や著作権使用料等についての説明をたいへんていねいにつくられていて、私はかなり感動しています。
もし、あなたがまだ森崎さんのサイトをご覧になったことがなければ、ぜひ1度見てみてください。


私が、森崎さんの説明がすごいなあって思うのは、法律がよく分からない人が読んでも、すーっと内容が理解できるように書かれているところです。
井上ひさしさんがいう、「難しいことを易しく」書くってやつですね。

たとえば「よくある質問」のページでは、「上演許可が必要ないケースもあると聞きましたが、本当でしょうか?」という質問に、次のように回答されています。

はい。
確かに著作権第38条によって、例外的に許可を必要としない上演が認められています。
要約すると「氏名表示/同一性保護/複製禁止/無料/無報酬の条件を全て満たせば、作者の上演許可は必要としない」というもので、わかりやすく書くと以下のようになります。

                                                                                                                    • -

○作品名と作者名を明記する。
○脚本にいっさい手を加えてはいけない。
○上演の映像記録などを勝手に複製して配布/販売したりしない。
○観客からいっさいの料金を受け取らない。(おひねりやカンパも含む)
○上演に対して交通費以外の報酬を受け取らない。(必要経費も含む)

                                                                                                                    • -

ただし、大会などによっては出場資格に「許可を取ること」が定められていることもあるので、無許可で出場しても選考や表彰の対象から外れると思います。
事前に連絡だけでも頂ければ大会本部から問い合わせがあっても「許可してます」と答えられるので、大会出場のときは「許可申請」でなくとも「上演します」という連絡を下さい。

また私は法律とは別のところで、モラルに頼った上演許可申請は必要だと考えています。
第38条はなんでも無許可で上演できる安易な手段では無いことを、どうぞご理解下さい。*2

どうですか。
わかりやすいでしょう。

私は、プロの脚本家の方やそのマネージメント会社の方は、森崎さんのサイトを参考にして、上演許可についての記載を見直されるべきだと思います。


さて、ここからが本題です。


今年の1月、私のエントリー*3に対して、森崎さんからつぎのようなコメントをいただきました。

ただ38条に関連してよく取り上げられる使用料の件を見る度、ひどく疑問なのは「自作の脚本の使用」に対価を要求することが何故にいけないのだろう、という点です。
映画を「見る」音楽を「聴く」と同じように、脚本を「使う」ことに対価を自由に設定したりするのも許されていいのだろうと考えますし、「相場なので5000円」を設定の根拠にしてもさほど強引ではないように感じます。

中には「こんなクオリティの脚本が金を取るのか?」という意見も確かにあるでしょう。
ですが「この脚本を次の公演で使おう」と思った時点でその使い勝手や内容には納得しているはずです。
必要な経費として舞台セットの材料費は容認するのに、なぜ脚本使用料を上演に必要な経費と見れないのか。
また材料は努力して無料で入手しているということなら、なぜ作者に脚本使用料の減免を申し出たりする努力をしないのか。
と思わずにはいられません。

もし「第38条がある。無償公演なら無料でも大丈夫だ」という判断を「作者との折衝が必要なくて、面倒な手間がかからない解決法」として使われるのも悲しいですし。


また、このコメントに対する私の返答を受けて、次のように書き込まれました。

ただ、それでも、上演許可の連絡や脚本の内容に応じた使用料が自由な演劇活動をいかほど阻害するというのか。
著作者の権利と文化振興のバランスというが、著作者がどれほど恵まれているというのか。
といったことを伝えたくて、先日のような意見を書かせていただいた次第です。


この森崎さんからの問いかけは、私のなかにずーっとあって、今もいろいろと揺れている部分があります。
が、今日はそういう部分も含めて書いてみます。


順にみていきます。

映画を「見る」音楽を「聴く」と同じように、脚本を「使う」ことに対価を自由に設定したりするのも許されていいのだろうと考えますし、

思うに、映画を「見る」、音楽を「聴く」に対応するのは、演劇を「観る」なんだと思います。
つまり、脚本を上演して、公演を観にきてくれたお客さんからチケット代を取るのは自由だし、対価を自由に設定したりするのも許されている、ってことではないでしょうか。

別のいい方をしてみます。

脚本を「使う」に対応するものを、音楽でいうと楽譜を「使う」であって、それは、誰か他人が作った曲を演奏するってことです。
で、確認しますが、著作権法第38条1項は「公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる」という規定です。
とすれば、音楽の場合も、演劇とまったく同じで、非営利・無料・無報酬での演奏であれば、著作権者に無許諾かつ著作権使用料無料で演奏できるわけです。
何も違いはないわけです。


次にいきましょう。


「『相場なので5000円』を設定の根拠にしてもさほど強引ではない」とか、「必要な経費として舞台セットの材料費は容認するのに、なぜ脚本使用料を上演に必要な経費と見れないのか」という問いです。

相当思い切っていうと、私は、5000円はかなりいい線を突いていると思っています。
一般的な上演料の相場として高いか安いかといえば、間違いなく、安いでしょう。
そこが、うまいと言えばうまい。

しかし、私の立場からするとズルい。
5000円なら、正直いって、高校の演劇部でも何とかならないわけではない*4
その微妙な値段を突いて、上演料を請求してくるわけです。
しかも、著作権法のきちんとした説明をせずに、上演許可を取って著作権使用料を払わないと違法ですよ、って少しおどかすようないい方で…。
まさに「さほど強引ではない」やり方なんですね。
しかし、法的に支払う必要がないケースにおいて、相手方の無知に乗じて5000円を要求するような行為は、どう考えても正当化できません*5


「なぜ脚本使用料を上演に必要な経費と見れないのか」。
私の答えとしては、それは、法律が、非営利・無料・無報酬の場合は、無許諾かつ著作権使用料無料での上演を認めているからだと思います*6
ありえないことですが、法律が非営利・無料・無報酬での上演の場合、舞台セットの材料費は無料と定めていれば、やはり舞台セットの材料費を必要経費とは考えないと思います。


3つ目の問いです。
「上演許可の連絡や脚本の内容に応じた使用料が自由な演劇活動をいかほど阻害するというのか。著作者の権利と文化振興のバランスというが、著作者がどれほど恵まれているというのか」考えてみましょう。


この問いには、おそらく立場の違いが背景にあると思います。

まず、私は単純にこう考えます。
非営利・無料・無報酬の上演の場合に無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認められていれば、無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認められない場合よりも、(プロの)優れた脚本が各地の無料公演で上演される機会が増え、そのことが文化の発展に寄与する面があると。
説明としては、これだけで十分ではないでしょうか。

そして、逆にこういう問いを投げかけたいと思います。

権利者は、アマチュアの非営利・無料・無報酬の公演から上演料を受け取ることを追求するのではなく、営利的な有料公演からより多くの上演料を受け取ることを考えるべきではないでしょうか、と*7
事実、日本劇作家協会のサイトに掲載されている「劇作家の最低上演料に関する決議*8」や「著作権、上演権などに関する共同提言*9」なんかは、おそらく、この問題に取り組んだものだと思います。


「著作者の権利と文化振興のバランスというが、著作者がどれほど恵まれているというのか」。

私の限られた知識では、おそらく多くの著作者は十分な報酬を得ていないと思います。
これは残念なことです。
でも、それはそういうものではないでしょうか。
文学とか音楽とか演劇とか…、そういう世界で、十分な報酬を得る機会はそうそうあるわけではないと思います*10
しかし、そのことは、上演する側も同じなのであって、著作者の権利が一方的にないがしろにされていて、文化振興のみが一方的に優先されているとも思えません。


で、こうやって答えていて感じるのは、私がこれまでのエントリーで論じてきたことの裏側の問題をきちんとしなくちゃいけないってことです。

さきほどもちょっと触れたんですが、それは、脚本家、劇作家はどうやって報酬を得るべきかということです。

で、思うに、王道は、有料公演に脚本を提供して、上演料を受け取ることでしょう。
営利的な上演に対して上演料を求めるっていうのが基本だと思います。
お金を取れる公演に耐えられる脚本を書いて、報酬を得ましょうってことだと思います。
私自身、自分じゃ脚本なんて書けないくせに、偉そうなことを言ってすいません。


それと、とっておきがあるんです。
実は、これは、ずーっと黙っているつもりだったんですが、森崎さんがまじめに対応されているので、今日だけは言っちゃいます。
上演料を取るんじゃなくて、脚本自体を売ればいいんです。
いやあ、言っちゃいました。

実際、印刷して売るとか、ダウンロードで売るとか、代金を請求する前に脚本全体を読んでもらうの?とか、考えるといろいろ面倒ではあると思います。
でも、それこそ、作品を売って対価を得るには、それなりに「面倒な手間」がかかるってことだと思うんです。


ではまた。

*1:http://www.d2.dion.ne.jp/~kzaki/index.htm

*2:http://www.d2.dion.ne.jp/~kzaki/script/qa.htm#39 もちろん、森崎さんと私とでは考え方が異なるところもあります。具体的には、権利制限規定と同一性保持権の関係のこと、法律とは別のところでやった方がよいのは「上演許可申請」ではなく「ご挨拶」ではないかという点です。

*3:http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080820

*4:高校演劇部にはいろいろなケースがあるので、1ステージ5000円の負担が本当に難しい場合もあるでしょう。

*5:2010年9月14日追記 この段落の記述は、もちろん、すべての著作権者がこのようなやり方をしていると言っているわけではありません。今回取り上げた森崎さんはもちろん、そのほかにも法に則った対応をされている方もいらっしゃいます。しかし、著名なプロの書き手や高校演劇指導者のなかにも、著作権法第38条1項に該当するケースにおいて、あたかも権利者として当然のことかのように、上演料を請求する例があとを絶ちません。こうした問題については以下のエントリーも参照してください。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080820 http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080902 なお、こうした行為が行われる原因の1つは、社団法人日本演劇協会の規定にあります。詳しくは、以下のエントリーを見てください。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20081001

*6:もちろん、著作権に関する意識が低かった時代、あるいは、いまだに意識が低い人・団体があるっていう問題もありますよね。きっと、著作権のような無体物についての財産権をイメージできないんでしょう。これはこれでどうにかしないといけない問題です。

*7:少なくとも、非営利・無料・無報酬の(アマチュアの)公演が行われることによって、その分だけ、営利性のある有料公演を行う人・劇団が収入の機会を失い、経済的に不利益を被るということはないと思います。

*8:http://www.jpwa.org/main/content/view/46/41/

*9:http://www.jpwa.org/main/content/view/45/40/

*10:私は、これは社会の大問題であって、こういう世界でがんばっている人たちを、何らかの形でしっかりと支えるしくみを充実させること、こういう世界を大切にする文化を育むことは大切だと思っています。個人的なことをいえば、できるだけお金を払って芝居を観る機会などをたくさん作っています。また、取るに足らないものではありますが、草の根的にそういう活動に関わっています。

著作権法第38条1項と上演許可・同一性保持権(成井豊さんの例)


こんにちは。


今日は成井豊さんの事例*1を取り上げます。
成井さんは演劇集団キャラメルボックス(高校生にも大変人気のあるプロの劇団)で作・演出を手がけられています。


まず1つ目の問題、著作権法第38条1項に直接関わることからです。

著作権法第38条1項は、非営利・無料・無報酬での上演であれば、著作権者に無許諾かつ著作権使用料無料での上演を認めています*2


しかし、成井さんの作品の上演許可について、ネビュラプロジェクトキャラメルボックスのマネージメントを行っている会社)のサイトには次のような記載があります。

最初に、「キャラメルボックス上演許可ページ」です*3
このページがキャラメルの作品を上演したいと思った人が最初に見るものです。

キャラメルボックスの上演台本を使用する場合には、上演許可が必要となります。
この許可を得ずに公演を行うと著作権法に反する違法行為とみなされてしまいますので、お気をつけ下さい。
上演許可は、演出部の白坂・白井が担当しております。


まあ、普通はこんなものでしょうか。
「上演許可は、演出部の白坂・白井が担当しております」とあるので、成井さんの作品の著作権がどのように管理されているのかは、ちょっと気になります。


さらに、「キャラメルボックス上演許可ページ」には、以下のページへのリンクがはってあります。
「上演許可とは?」、「許可申請方法」、「脚本の変更について」、「申請フォーム」の4つです。


「上演許可とは?」のページ*4を見てみます。

上演許可とは、キャラメルボックスで使用した上演台本を、中・高等学校の演劇部や大学のサークル、専門学校での発表会、一般劇団の公演などで使用する際に必要な許可のことです。


台本の使用については、著作権上、その作者である「成井豊」もしくは「成井豊真柴あずき」に対して著作権使用料を支払って使用していただくことになります。
この許可を得ずに台本を無断使用して公演を行うと、違法行為となりますのでご注意下さい。

私は、少なくとも「中・高等学校の演劇部」の公演では、38条1項の非営利・無料・無報酬での上演にあたり、無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認められるものがほとんどだと思います。
しかも、キャラメルボックスには、ハーフタイムシアターという60分の短編作品があり、「中・高等学校の演劇部」が脚本を改変せずに上演できる場合も多いのです。
しかし、ここには、台本の使用については、著作権上、著作権使用料を支払っていただくとか、許可を得ずに台本を無断使用して公演を行うと違法行為となるとか書いてあります。

また、「上演許可申請方法」のページ*5には、「入場無料の場合、上演料は一律5,000円となります」とあり、たとえ「中・高等学校の演劇部」の公演で上演料を請求するのは当然というスタンスになっています。


私としては、正直、これには詐欺的な印象さえ受けてしまいます。
設立から約20年間活動してきた劇団マネージメント会社が、著作権法第38条1項をまったく知らないというのは、とても考えにくいことだからです。

また、上演許可とは、「上演台本を、中・高等学校の演劇部や大学のサークル、専門学校での発表会、一般劇団の公演などで使用する際に必要な許可のこと」としていて、中・高等学校の文化祭での上演が含まれていないのも、意図的なものではないかとも感じてしまいます。
これはさすがに勘ぐり過ぎかもしれませんが…。


2つめの問題は、著作権法第38条1項の権利制限の適用がある場合の、同一性保持権に関わるものです*6


「中・高等学校の演劇部」が、実際に成井さんの脚本を上演する場合には、脚本を改変することもよくあることだと思います。
そうなってくると、著作権法第50条の「この款の規定は、著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならない」という規定が効いてきます。
著作権法第38条1項により、無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認められるケースであっても、同一性保持権は生きているのです。
このため、脚本の改変には成井さんの許諾が必要です。


しかし、私は以前のエントリーで、第50条の規定を適用するにあたり、権利制限規定の趣旨を尊重することを提案しました*7
それは、著作権者が、一定の範囲での脚本の改変については、事前に同一性保持権を放棄(ないしは「改変についての同意」)していると考えられる場合には、著作権法第38条1項の趣旨を生かして、無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認めるべきではないかという提案です。


「脚本の変更について」のページにとんでみます。
そこには「脚本の変更に関して 〜成井豊よりのお願い〜」*8があります。

上演に際して、作者の僕からいくつかお願いがあります。
それは、僕が一ヶ月以上苦しんで書いて、さらにキャラメルボックスの役者たちにも二ヶ月以上苦しんで稽古してもらって、やっとの思いで作り上げた脚本を、どうか大切に扱ってほしいということです。
皆さんが、皆さんの演出・演技に合わせて、科白をカットしたり、変更したりするのは止むを得ないことです。
が、脚本の手直しは、なるべく最小限に抑えてほしいのです。
僕の脚本は、手直ししないでそのまま上演するのが、最善のはずです。


成井さんの言いたいことは、とてもよく分かります。
私も「手直ししないでそのまま上演するのが、最善のはず」だと思います。

が、意地悪なようですが「皆さんが、皆さんの演出・演技に合わせて、科白をカットしたり、変更したりするのは止むを得ないことです」という、演出も手がける成井さんの言葉も重いと思います。


成井さんがいうように、「演出・演技に合わせて、科白をカットしたり、変更したりするのは止むを得ない」とすれば、権利制限規定の適用がある場合に、同一性保持権をかたくなに主張し、許諾と上演料を要求することは、必ずしも適切なこととは思えません*9

しかも、成井さんは、「以下の禁止事項に抵触する場合、脚本の上演をお断りする場合があります」として、脚本を改変する場合の禁止事項を示していますが、しかし、これによって、成井さんは脚本の改変が許容される範囲を示しているのです。

引用します。

1. 題名を変更しないこと。
2. 登場人物の名前を変更しないこと。
3. 最初のシーンを変更しないこと。科白を書き直したり、前に新たなシーンを付け加えたりしないこと。(科白の多少のカットは結構です)
4. 最後のシーンを変更しないこと。科白を書き直したり、後に新たなシーンを付け加えたりしないこと。(科白の多少のカットは結構です)
5. ストーリーを変更しないこと。死なないはずの人を死なせてしまったり、ただの脇役の人を主役にしたりしないこと。新たな登場人物を出したり、新たなシーンを付け加えたりしないこと。(その他、ストーリーに関わる変更は、ほんの少しの場合でも僕に知らせてください)

また、「上演許可申請方法」のページには、「題名の変更、役名の変更、作品の主題に関わる変更を除いては、上演をお断りすることはほとんどございません」という記載があり、上の禁止事項に抵触しない改変は基本的に許容されているようです*10

そこで、成井さんは、実際のところ、一定の範囲での脚本の改変については、事前に同一性保持権を放棄(ないしは「改変についての同意」)していると考えられないでしょうか。
こうして、私は、この場合は、著作権法第38条1項の趣旨を生かして、無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認めるべきではないかと考えるのです。

*1:成井さんについては、以前「高校演劇の上演料は、なぜ5000円なのか?」というエントリーを書いたことがあります。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20080820

*2:著作権法第38条1項 公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

*3:http://www.nevula.co.jp/kyoka/

*4:http://www.nevula.co.jp/kyoka/setumei.html リンク先のページのトップには「上演許可について」と書いてありますが…。

*5:http://www.nevula.co.jp/kyoka/shinsei.html 「許可申請方法」をクリックするとこのページにとびます。

*6:私は、鴻上尚史さんの『トランス』についても、同様の問題のエントリーを書いています。http://d.hatena.ne.jp/chigau/20100831 http://d.hatena.ne.jp/chigau/20100904

*7:同上。

*8:http://www.nevula.co.jp/kyoka/onegai.html

*9:お気づきの方も多いと思いますが、このように考えると、そもそも、著作権法第20条第4号の「やむを得ないと認められる改変」への該当するのではないかという気もしてきます。第20条は第1項で「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする」としつつ、第2項で「前項の規定は、次の各号のいずれかに該当する改変については、適用しない」と定め、その第4号に「前三号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」を置いています。

*10:なお、このページには「変更内容に関して許可できない場合がありますのでご了承下さい。脚本に変更がある場合は、お手数ですが台本を一部、キャラメルボックス宛に郵送でお送り下さい。内容を確認の上、許可が可能かどうかを判断いたします。」との記載があります。ですから、成井さんか、ネビュラプロジェクト演出部の白坂さん・白井さんが上演台本をきちんと見てから、同一性保持権について判断しているということではあるようです。この点は、私の主張には厳しい部分ではあります。

著作権法第38条1項と上演許可(三谷幸喜さんの例:再論)


こんにちは。

このエントリーは、先日の三谷幸喜さんの記事*1の書き直しです。


三谷幸喜さんは、自分が積極的に関わらないところで自身の作品が上演されることを認めていません。
それは、アマチュアの演劇はもちろんですが、上演するのがプロであっても同様です。


三谷さんは、『オケピ!』の「付記」に、次のように書いています*2

これは、パルコ・プロデュースのミュージカル『オケピ!』の上演台本です。
これを読み、よし自分たちもこれを上演してみよう、と思った方がいたら、出来れば止めてください。

これは、あくまで「読み物」であり、そういうことのために活字にしたわけではないのです。


(中略)


僕の知らないところで、僕の知らない人たちによってこの作品が上演されるのを、僕は決して希望しません。
ましてや、僕が一生懸命書いたホンが知らないところで勝手にアレンジされ、自分らのやりやすい形に書き直されて上演されるなんて、考えただけでも、憂鬱になります。

以前僕の書いた『笑いの大学』という二人芝居が、僕の知らない間に、登場人物の一方を女性に置き替えて上演されていた、という話を聞き、思わず卒倒しそうになりました。

そういう真似はくれぐれもしないように。考えてもみてください。例えばどんなにあなたが映画『タイタニック』を気に入ったとしても、どこからか台本を手に入れたとしても、そして有り余るほどのお金があったとしても、だからと言って勝手にリメイクをしようとは思わないでしょう。

それと同じことです。


ですから、三谷さんの戯曲はほとんど活字になっておらず、『オケピ』は第45回岸田國士戯曲賞を受賞したこともあって、例外的に出版されているのです。


三谷さんがこういう考えの方だということは、演劇をやる人にはよく知られていると思います。
実際、以前、高校演劇の世界でも、三谷さんの作品を無許諾で上演して問題になったことは有名です。


こうして、三谷さんの戯曲を、三谷さんが関わらない形で、プロがお金をとって上演することできません。
三谷さんが上演許可を出しませんから。


しかし、三谷さんの願いのすべてが叶うわけではありません。
なぜなら、非営利・無料・無報酬での上演であれば、三谷さんに無許諾かつ著作権使用料無料での上演ができるからです。


どうしてそうなるのでしょう。


分からなかったら条文を読んでみる、これが基本でした(その基本を忘れていたのが先日の私です)。
著作権法第38条1項を見てみましょう。

公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。


読んでの通り、著作者がその作品の第三者による上演を望んでいるか否かについて、この条文はまったく触れていません。
ということは、三谷さんがどう思っていようと、公表された著作物である『オケピ!』は、「営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、公に上演」することができるのです。


では三谷さんの思いは、まったく受け入れられないのでしょうか。
もちろん、そんなことはありません。

著作権法第50条は「この款の規定は、著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならない」と規定しています。
ですから、著作権法第38条1項により、無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認められるケースであっても、同一性保持権は生きています。


ですから、三谷さん、次の点については、安心してください。

三谷さんが、「一生懸命書いたホンが知らないところで勝手にアレンジされ、自分らのやりやすい形に書き直されて上演される」ことを、著作権法は禁じています
『笑いの大学』が、三谷さんの知らない間に、登場人物の一方を女性に置き替えて上演されることも、著作権法は禁じています。


こんな感じでどうでしょう?

著作権法第38条1項と契約のoverridability


こんにちは。
早速はじめます。

著作権法第38条1項は、非営利・無料・無報酬での上演について、無許諾かつ著作権使用料無料での上演を認めています。


しかし、演劇の世界では、たとえそれが高校生による、非営利・無料・無報酬での上演で、かつ脚本の改変が一切ないものであっても、著作権者が上演許可を取るよう要求し、かつ著作権使用料として5000円の支払いを求めることが広く行われるようになっています。


著作権者によるこのような行為は、はたして法的に認められるものなのでしょうか*1
この問題は、著作権法の権利制限規定が、当事者間の契約によってオーバーライド出来るかという問題です。


結論を先取りするなら、私はこうした契約は認められるべきでないと考えます。


では、検討してみることにしましょう。


私たちの社会では、私的自治の原則、契約自由の原則が認められています。
よって、原則からいえば、取引の当事者間で合意できれば、契約内容は自由に定めることができます。

とすれば、たとえ著作権法第38条1項が、非営利・無料・無報酬での上演について、無許諾かつ著作権使用料無料での上演を認めていたとしても、著作権者と上演許可を得ようとする側とが合意すれば、上演の許諾とともに上演料として5000円を支払う契約をすることも認められるように思われます。

しかし、このような契約を認めていくと、使用者側がその戯曲をなんとしても上演したいと考えていれば、結果として権利者の意向に従わざるを得ず、上演を許諾する権利者(=有利な地位にある側)の意向が優先されやすく、結果として、権利制限規定が有名無実化するおそれがあるのではないでしょうか。


ちょっと回り道を。


そもそも著作権法の権利制限規定は、強行法規なんでしょうか、それとも任意法規なのでしょうか。


作花文雄先生は次のように書いています。

一方の極として、制限規定により許容されている内容は、排他的権利は及んでいないということを規定しているに過ぎず、当事者間でいかなる特約を締結するかは自由であり、例外的に当該契約に係る諸事情により、民法第90条の公序良俗違反となる場合には、無効と解するという考え方もあり得る。
そして、他方の極として、著作権法は(準)物権的な排他的権利を規定する法制である以上、各条項は基本的には強行法規性を有しているものと解すべきだとする考え方(したがって、各制限規定に反する契約は民法第91条の規定により無効である)もあり得るものと思われる。

現行法の制定意思としては、各制限規定の強行法規性の有無は、個々の事例に応じ司法府に委ねているものと基本的には解されるが、単に当該制限規定の内容は排他的権利の範囲外のもととしているという性格のものもあれば、著作物の利用に係る(政策的)公序を体現した規定としての性格を有するものもあると考えられる。
したがって、上記の両極のいずれかということではなく、各制限規定の果たす役割や性格を踏まえた上で、解釈運用を図ることが望まれる。*2


うーん。


著作権法第38条1項を「制限規定の果たす役割や性格を踏まえた上で、解釈運用を図る」とすれば、どのように考えるべきなのでしょう。


作花先生による権利制限規定の分類によれば、38条1項(非営利・無料・無報酬での上演)は、「学校教育、社会教育、地域文化活動あるいは生涯学習など、人々の教育・学習活動に資するもの」とされています*3
であれば、この規定は、権利制限規定のなかでも公共性の高いものであり、また、現実に行われている非営利・無料・無報酬での上演のあり方を考え合わせても、安易に契約によるオーバーライドを認めるべきではないように思われます。


で、話はぶっとびます。

全国高等学校演劇協議会は、既成脚本の上演にあたり脚本の改変が一切ない場合にまで著作権者の許諾を得ることを大会参加の条件としています。
そして、その際、著作権使用料は一般的に5000円であると公言しています*4


しかし、高校演劇に関わる先生方の意図とは裏腹に、このような行為は著作権を守るどころか、逆に著作権法の趣旨を台無しにしてしまうものです。

高校演劇に関わる方々、その他広く演劇に携わるすべての方々には、著作権法は、単に著作者の権利を守るためにあるのではなく、「文化の発展に寄与すること*5」をも目的にしていることをぜひ理解してもらいたいと思います。

*1:なお、今日のエントリーでは、使用者側は脚本を改変することはなく、したがって、同一性保持権の問題は生じない場合について検討したいと思います。

*2:作花文雄『詳解 著作権法(第3版)』ぎょうせい、2004年、313ページ。

*3:作花文雄、前掲書、309ページ。

*4:長崎地区高等学校演劇連盟が作成した『高校演劇基礎知識』を読んでみてください。http://dramankbr.web.fc2.com/infomation/drama_kiso.pdf これは、全国高等学校演劇協議会が直に示したものではありませんが、ネット上で見られる、高校演劇界の常識的な見方を示す典型的な資料です。この類の資料は、高校演劇ではよく目にします。

*5:著作権法第1条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。