著作権法第38条1項と同一性保持権(「やむを得ないと認められる改変」とは? −覚書−)

さて、今日は、前回の青山高校の事例に出てきた、「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」(著作権法第20条第2項第4号)に含まれる問題について、覚え書き的にまとめておきたいと思います。*1


毎年文化祭で多数の演劇・ミュージカルを上演する東京都立青山高校では、2007年から著作権者の上演許可を取るのをあきらめました。
そして、「ある一場面、一幕をカットして、ナレーションでつないだりしながら、上演する部分は公になっているものをつないでいくという形で」上演する方法を選びました。
この青山高校の対応方法は、著作権法第20条第2項第4号の規定を意識したものと思われます。

著作権法第20条を見てみます。

第20条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。
  2  前項の規定は、次の各号のいずれかに該当する改変については、適用しない。
    一  第33条第1項(同条第4項において準用する場合を含む。)、第33条の2第1項又は第34条第1項の規定により著作物を利用する場合における用字又は用語の変更その他の改変で、学校教育の目的上やむを得ないと認められるもの
    二  建築物の増築、改築、修繕又は模様替えによる改変
    三  特定の電子計算機においては利用し得ないプログラムの著作物を当該電子計算機において利用し得るようにするため、又はプログラムの著作物を電子計算機においてより効果的に利用し得るようにするために必要な改変
    四  前三号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変

青山高校では、文化祭での演劇上演では、その利用の目的及び態様から、演劇の全編を一切省略せずに上演することは通常ありえず、時間の都合でその一部を上演することは、やむを得ないと認められる改変にあたると解釈したのでしょう。


もちろん、私は、青山高校の解釈を支持しますが、もし仮にこの問題が裁判になった場合、このような解釈が認められるかは、かなり難しい判断になるのではないかと感じます。


なぜなら……、

たとえば、青山高校の副校長先生によると、文化庁からは「それが正解かどうかは何ともいえない」と言われたそうです。*2
もちろん、行政庁としてはこのようなコメントにならざるを得ないわけですが…。


また、立法者起草者、(従来の)通説・判例は、著作権法第20条第2項の規定について、極めて厳格に解釈するという立場をとってきました。

さしあたり、立法担当者起草者の考え方を示します。

本項(筆者注:著作権法第20条第2項)は、第1項に規定する同一性保持権が及ばないものとして、真にやむを得ないと認められる改変を必要最小限度において許容しようとするものであります。
その意味におきまして、本項各号の規定は、極めて厳格に解釈運用されるべきでありまして、拡大解釈されることのないよう注意を要するところでございます。*3


このような著作権法第20条第2項を「極めて厳格に解釈運用されるべき」と考える立場に立つならば、青山高校の解釈は、やや苦しい面があるように思えるのです。


もちろん、「厳格に解釈運用されるべき」という立場に立ったとしても、既成脚本を高校の文化祭で上演する場合であれば、「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし」て、脚本の一部分を一定の限られた範囲でカットするような改変は「やむを得ない」とされるケースも十分考えられます。


しかし、現実的に考えた場合、通常の既成脚本は、上演時間が短くても1時間30分程度、一般的なもので2時間前後、なかにはそれより長いものだってあります。

すると、たとえば(そして、おそらくほとんどの場合に)、2時間以上の脚本を60分以内で上演できるように改変して上演することは、いくら高校の文化祭という「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし」たとしても、「やむを得ないと認められる改変」の範囲だと認められるかというとかなり難しいのではないでしょうか。
なにしろ、作品の半分以上をカットすることになるわけですから…。


また、「ある一場面、一幕をカットして、ナレーションでつないだりしながら」上演することが、演劇の上演スタイルとして「やむを得ないと認められる改変」と認められるかも心配です。

というのも、高校生が上演しようとするような演劇・ミュージカルは、1つの作品を通しで上演するのが通常であり、「ある一場面、一幕をカットして」上演することは通常はまずありません。

この点も、著作権法第20条第2項を「極めて厳格に解釈運用されるべき」と考える立場に立たれてしまうと苦しいところだと感じます。
歌舞伎のように、一般的な上演スタイルとして、ある演目全体を通しで上演するのではなく、一部分のみを上演されるものであればよいと思うのですが…。


行き詰まってきたので、とりあえず、今後の方向性を示しておきます。

青山高校が直面したような問題を乗り越えるためには、結局のところ、著作権法第20条第2項を、利用者(社会全体)の立場に立って柔軟に解釈する道しかないと思います。

詳しい検討は今後に譲るとして、著作権法第20条第2項の解釈について、柔軟な立場に立つ中山信弘先生の言葉を引用しておきます。

条文上は切除も同一性保持権侵害の一態様として規定されているが、原作を改変しないで一部分を利用したことが明らかなような場合は、4号に準じて同一性保持権侵害とならない場合もありうると考えられる。例えば、学校の学芸会で脚本の一部を上演したような場合、全て同一性保持権侵害と解することには問題があろう。 (中略) 解釈論としては、やむを得ぬ改変と考えるべきであろう。*4

*1:今回の記事の内容は以下の論文に多くを負っています。上野達弘「著作物の改変と著作者人格権をめぐる一考察 ― ドイツ著作権法における「利益衡量」からの示唆 ―(一)」(『民商法雑誌』120巻4,5号、1999年8月)。同「著作物の改変と著作者人格権をめぐる一考察 −ドイツ著作権法における「利益衡量」からの示唆−(二・完)」(『民商法雑誌』120巻6号、1999年9月)

*2:日向央「高校の文化祭での演劇の上演に著作者の権利は発生するのか? 〜TBS『NEWS23』での報道から〜」(『調査情報』2008年1・2月号、第3期通巻480号)

*3:加戸守行『著作権法逐条講義(四訂新版)』、社団法人著作権情報センター、平成15年、173〜174ページ。

*4:中山信弘著作権法』(有斐閣)2007年、402ページ。